スタジオ◎ミームにも、水先案内人がいます。 その仕事の中身もスケールも及ぶことは出来ませんが 精神的な背骨は 河田卓先生以外の誰でもありません。 フリーランスにこだわり、1985年7月仕事を終えた深夜に倒れた 企業コミュニケーションの先駆けです。 不幸な事に その後広告は、良心という留め金を外し バブルに浮かれる企業の都合の良いラウドスピーカーとして 広告表現の持つ独自の魅力と批評性を 換金する時代に突き進むことになるわけです。
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